おじいちゃん、おばあちゃん

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

私にはおじいちゃん、おばぁちゃんが3人ずついます。

一瞬は?どーゆーこと?って、なった人いると思いますが、もちろん血の繋がったおじいちゃんとおばあちゃんは2人ずつで、直接血の繋がりがないじーちゃんとばーちゃんが別にいます。

 

私の父には20歳離れた姉がいます。その姉と旦那さんには子供が授からなかったので、跡取りの関係で、年が離れた父が姉夫婦の子供という繋がりで養子に入ったそうです。

なので、私は直接血の繋がってないじーちゃんとばーちゃんと一緒に育ちました。

特に血の繋がりこそ全くないですが、じーちゃんはずっと私のことを孫として本当に可愛がってくれました。

幼稚園のころはよくじーちゃんがトウモロコシ畑に連れてってくれました。私が家にいれば、ずっと畑仕事中も私の面倒を見てくれてました。

今考えるとウチは教育が厳しく家にはジュースも一切なく、甘いものをほとんど口にしたことないような家庭でした。そんな私を見かねてか、母にみつからないようによく飴をくれました。もちろんずっとは隠し通せないのでバレてじーちゃんは怒られてましたが。(⌒-⌒; )

私の結婚相手はじーちゃんが見つけてやるけんな、私の孫までは見らなん死なれんとも言ってました笑。本当に可愛がってくれてました。

小学生入りたてのころもじーちゃん、ばーちゃんの寝室で寝て、じーちゃんの布団の中で毎日朝を迎えてました。よく夜中トイレに行くのが怖くてじーちゃん、ばーちゃんを起こしトイレについて来てもらったことを覚えています。

また近所の幼なじみの女の子や男の子からもばーちゃんやっちゃ優しい。自分の家のじーちゃん、ばーちゃんと代わってほしいとよく言われてました。

本当に自慢のいいじーちゃん、ばーちゃんでした。

 

そんなに可愛がってくれてた私にも反抗期という時期が来てしまいました。

ストレスが溜まってのか、ばーちゃんに対して不意にクソババアっと言ってしまったり、じーちゃんに対しても無視を繰り返してました。

 

そのままの関係で高校生になりました。

その高校時代に今思い出しても後悔しか残らないあの日がやってきました。

家に私とじーちゃんの2人。土曜か日曜で昼間の出来事でした。じーちゃんがふと私の部屋に入ってきて、左手が上がらんって言ってきました。昔から膝が痛いとか腰が痛いとか言ってたので、私は、会話のきっかけにするつもり??と思って、あ、そっ。といい話を切り、数秒の沈黙後じーちゃんは悲しそーな顔をして部屋から出て行きました。今でもあの顔ははっきり覚えています。

その日の私は夕方からは出かけていて、夜に返ってみると何やら家族がバタバタしています。

何?と聞いたらじーちゃんが救急車で病院に運ばれたそうです。

母に聞くと夕方トイレに行ったらじーちゃんが転んだらしい。その後にご飯を食べたら口から食べ物がこぼれて自分で食事もとれなくなったらしく、その様子を見かけた母がすぐに救急車を呼んだそうです。

脳梗塞でした。

幸い命に別状はなかったものの歩くこともできなくなったじーちゃん。

そして脳梗塞が早めの処置で経過が全然違うことを知った私。

じーちゃんが声をかけてきた、あのタイミングで救急車を。いや、家族にそのことを伝えておくだけでも、こんなことにはならなかった。。

本当に後悔しました。自分のせいでじーちゃんが歩けなくなった。

この思いでいっぱいでした。

だけど、反抗期というのも重なり、じーちゃんに対して面と向かって謝ることができず、お見舞いもほとんどいけず、母と行ってもお見舞いに行っても挨拶ぐらいしか交わせなかったです。

高校卒業し、就職のために地元を離れた私。

仕事を辞めて返ってきても、次の仕事を始め、寮に入り、無意識にか、じーちゃんとの時間は作らないようにしてました。

その間、高齢と長期の入院生活でじーちゃんはボケが進んだらしいです。

施設と入院を繰り返すじーちゃん。

いつもお見舞いに行く母のこともよくわからなくなっていたらしです。

 

その後、私は結婚し子供も授かりました。

産まれて退院し、しばらくしたころ、母から連絡がありました。

じーちゃんが危ないかもしれない。今のうちに顔を見せてあげてと。

妻と生まれた息子を連れてじーちゃんがいる施設行き、職員に案内された部屋に入ると肉付きの良かったじーちゃんはやせ細り私のイメージとはかけ離れたじーちゃんがベッドの上にいました。

じーちゃんに私だよ、孫が産まれたよと話しかけると、おぉ。と声を上げましたがそれ以降は何も話してくれなかったです。

後でその話を母に言うと最初信じてくれなかったです。

だってじーちゃんはもうしばらく前から声を出すことを全くしてなかったらしいです。

でも、私や妻ははっきり覚えてます。ちゃんと私たちを見て痩せ細った顔で声をかけたことを。

その後じーちゃんは亡くなってしまいましたが、ちゃんと亡くなるときに立ち会えたこと。孫を見せることができたことは私がじーちゃんにできた唯一の恩返しだったと思います。

私が結婚して、孫がいることを確認できたので、安心して逝けたんだなーと。

 

ばーちゃんはもう88歳になります。腰が痛いっていいつつサポーターをつけてまだ毎日畑仕事をしています。休むのが嫌らしく、自分がここまでやると決めたら日が沈んでもやってるらしいです。

 

もうすぐ敬老の日です。

ばーちゃんが寒くなっても畑仕事できる物を贈ろうと思います。

じーちゃんはタバコのラークをよく吸ってたのでお墓で一緒に吸おうと思っています。

 

皆さんも敬老の日だけでもおじいちゃん、おばぁちゃんのことを思い出してあげて下さい。一緒に住んでる人はその当たり前のことに感謝し、声をかけるだけでもいいので、やってみて下さい。来年またその日を家族で迎えれる保証はないので。後悔しないように。

 

ここまで読んで下さりありがとうございました。